スマップのグループ結成は1988年4月。結成当時の年齢はそれぞれ中居15歳、木村15歳、稲垣14歳、森14歳、草なぎ13歳、香取11歳。結成=CDデビューのグループが多い中、SMAPはCDデビューまでのJr内グループ期間が3年以上に渡り、その間アイドル番組やドラマ、舞台などに出演し、小中高生の間でアイドルとしての人気を確保していった。アイドル雑誌やメンバーのラジオには季節の変わり目になるとSMAPがCDデビューしないことについての疑問や怒りのハガキが届き、メンバーも「いつかはするから待っててね」のような発言を再三していた。
待望のデビューは1991年9月。当然のことながら当時SMAPを知っていたのは若い学生やいわゆるジャニーズファンが中心であり、一般認識はジャニーズのアイドル程度であった。また、彼らのデビュー時には、すでに光GENJIの勢いは無くなっていたものの、時代は空前のバンドブームの余韻を残しており、歌番組が次々と消滅し、新人アイドルを売り出す場が皆無という状況であった。SMAPはもちろん、前年にデビューした少年忍者と共に事務所としても売り出しに苦慮してたのが実情である。
しかしデビュー半年後の1992年4月、当時若者に絶大な人気を誇ったフジテレビの通称「Panasonic枠」にて、『夢で逢えたら』の後番組として開始した『夢がMORIMORI』が、彼らの転機となる。アイドルであるにも関わらず、彼らは本格的なコントを、出演しているドラマのパロディを、「アイドル」という自分たちを笑い飛ばした。当時彼らの発言に度々出てくるキーワードは「俺たちは身近にいる男の子って感じ」。「光GENJIが『ザ・アイドルそのもので王子様』だったのなら、自分たちは『みんなの身近にいる普通の男の子』だ」という発言。また、現在ではどのユニットでも当たり前のこととなっているが、彼らはCDデビュー後も個人活動を推進した。これはデビュー直後のグループとしては当時とても画期的なことだった。
それまではジャニーズの中の1アイドルに過ぎなかったSMAPが1994年頃から老若男女・多くの層への人々に普及しだし、1995年、アルバム『SMAP 007 〜Gold Singer〜』で海外から大物ミュージシャン参加で話題を呼んだ。1996年、森且行が子供のころから憧れていたオートレースの選手になるためにグループを脱退(オートレースの養成学校に入れるのは23歳が上限であるため、22歳のときに脱退)。木村拓哉の人気が絶対的なものとなったのもこの頃。「視聴率は取れるが歌は売れない」と言われていたCDもそれまでの「ジャニーズ的」な曲からスガシカオ・山崎まさよしらから提供されるようになってからは「アーティスト」としての一面が強くなり、多くのミリオンセラーを記録、史上空前の大ヒットを起こした。日本全国規模で人気が急上昇し、ドラマ、バラエティ、CM、コンサート、舞台と多方面で活躍し始めた。そして今やアジア全域での認知度も高まり、知らぬものはいないほどの国民的アイドルとなった。また『ジャニーズカウントダウンライブ』や『ジャニーズ体育の日大感謝祭』など事務所を挙げたイベントには1996年10月10日の運動会を最後に参加していない。
(Wikipedia)

